育緒先生のフィルム写真ゼミについては、今年の4月にゼミ終了と修了展について書いたのが最後ですが、先日、第二期修了展が終了しました。
心斎橋のギャラリー・ソラリスで開講している「育緒のフィルム写真ゼミ」は、今年5月から第二期が始まり、10月に最終回。続いて11月13日〜18日まで、同ギャラリーにて修了展が開催されました。
第一期では、写真への新しい扉を開いて(こじ開けて?)いただき、「写真を撮るということ」の原点について学ばせていただきました。
とても一言では言い表せない濃厚かつ刺激的な講義の内容は、過去の記事も参考にしていただけると嬉しいです。
自分でテーマを決める
第一期を終えたとき、ひとつの区切りを乗り越えたような気がしました。
第一期・一回目の講義では、目指すべきテーマを提示いただきました。
悩みながらも、都度アドバイスをいただき、当初は想像もできなかった作品へと編み上がったと思います。
非常に大きな達成感がある一方、この作品を自分自身でつくることができるだろうか? と考えました。
到底、できない。できるわけがない。笑
そこで、ひとつずつ自分で考え、選び、形にしていくことを目標に、まずはテーマの選定からやってみたいと考えました。
第一期の途中から撮りたいテーマが生まれつつあったこともあり、第二期は自分でテーマを考えて挑みました。
ただ、テーマの掘り下げが、とてもとても足りなかった。笑
ものすごく漠然とした、こういうものが撮りたいというなんとなくの方向性はあるものの、それをどういう風に捉えていくのか?
何について表現するのか? 何をみせていくのか?
あらゆることについて、詰めが甘過ぎたと、今では思います。
結局、自分の中にある思いという主観から、ひとに見せること=客観へのシフトがまだまだできていないというか。
しかも、対象としたのはふたつのモチーフで、ぺーぺーのくせに欲張った自分を呪うことになろうとは……春の終わりには想像もしなかったのでした。アホだ。
写真を撮る
前回は、父が使っていたCanon FTbで撮りました。今回も同じカメラで撮影を始めるも、どうにもうまくいかない。
一方は室内で、一方は街並み。50mmという画角もしっくりこず、育緒先生のアドバイスをいただきながら試行錯誤し、最終的に室内(というより物撮り)はゼンザブロニカC2 100mm、街並みはリコー500GSという、タイミングよく手に入れた40mmで撮ることになりました。
ブロニカの100mmは想像していたよりも寄ることができず、小物を撮るには到底ムリ……と諦めかけたところ、デジタルでマクロ撮影していたときに購入したクローズアップレンズを思い出しました。
フィルター経も、偶然ぴったり。過去の自分を褒めたい。笑
前回、父を撮り始めたときは、どちらかというと「深く関わりたくない」という気持ちがあったため、当初は踏み込みが足りず戸惑いました。
しかし今回は、かなり思い入れが強い対象だったため、自分の気持ちに振り回されるような感覚がありました。
結果、どうだったか。
ぜんぜんダメなんですねぇ、そういうのは。
人ぞれぞれだと思いますが、私の場合、撮るという作業に気持ちが入ってくると、どうもダメみたいです。
過剰に語ってしまうというのか……あれもこれもと欲張ってしまう。我が強すぎる。
近視眼的になって、自分が見たものや感情を押し付けるような写真になってしまうのかな……? 言葉にするのは難しいのですが、どうも良くない感じになるのです。
で、淡々と撮れたときは、比較的マシというか、見ていただけるモノになるような気がします。
そういった意味では、バカみたいに重くて大きな、シャッターのショックも大きいブロニカ100mmにクローズアップレンズというシビアな環境を得たことは、良かったのかもしれません。
なにせ、ちょっと油断したらとんでもなくブレるし、下手したら被写体がフレームから飛び出してしまいます。
花マクロで絶賛した一脚を補助にしても、めまいがするほど息を殺してシャッターを押さないといけない。
気持ちなんか込めてる余裕はなかったというわけです。
後から父に言われて思い出したんですが、レリーズを使えば多少は楽だったかも。はははは。
ともあれ、エアコンをかけていても冷や汗が出るような緊張感で撮ることができました。(下手くそ)
一方、街並みは回数を重ねる毎に、別の意味で「無」の状態になりました。
8月〜9月。猛暑の屋外です。
暑い、暑い、暑い、暑くて目が回る……
もはや、街への思いもクソもありません。
一定距離を歩いてシャッターを押す。それ以外のことは、もうどうでもいい……といえば大げさですが、そのくらい、無に近い状態でした。
おかげさまで、余計なことを考えずに撮ることができました。
写真を作品に
講義では、一ヶ月間に撮ってきた写真を見ていただき、良い点も改善すべき点もたっぷりと指導していただきます。
他の参加者さんの写真をみることもとても刺激になるし、参考になります。
テーマを決めて挑んだものの、被写体や画角を模索しつつ、撮影のスタイルが固まってきたのは3回目以降のことでした。
不思議なことに、迷いながら撮ってきた数々の写真の中から、育緒さんは「これがいい」という数枚を拾い上げてくれます。
「これがいい」というのは、それが「完璧である」ということではなくて、目指すべき方向へのきっかけというか、小さな道標のようなものが、そこに含まれている、というようなことだと思います。
そこからまた一ヶ月、少しずつ絞り込みながら撮っていく。
そんなわけで、最後の二ヶ月は、比較的まとまりの良い撮影ができたのではないかと思います。
最終回の授業では、展示へ向けたセレクトとレイアウト、展示方法などについてアドバイスをいただきます。
今回は、小物と街と、ふたつのテーマがありましたが、街については次回へ持ち越すことにしました。
撮影期間が短かった(2〜3ヶ月、各1回程度)こともあり、風景にバリエーションが乏しく、作品として十分でないと思いました。
小物作品の方は、今回もまた、思いがけない展示方法を提案いただき、ギャラリーの使い込まれ絶妙にエイジングしたテーブルに、育緒さんから額をお借りして直接置くという形になりました。
展示するための作品として写真を並べると、一枚ずつで見ていたときの印象とは大きく変わってきます。
然るべき環境に、あるべき姿で並べられると、複数枚の写真が、ひとつの作品としてまとまりのあるものになっていきます。
これが不思議で、とても興奮します。
日頃、たとえばインスタなどでは、一枚一枚がキレイとかカワイイと言って見ていますが、写真を組み上げて行くと、また次元の違った魅力が立ち上がってきます。
これは自分の作品がそうだというのではなくて、どの方の作品でも同じです。
一定の方向を見据えて、時間をかけて撮られた写真は、それぞれが互いを惹きつけあって、ひとつのより大きなイメージをつくりだす、そんな気がします。
第一期で学んだ「写真を組む」ということの重要性を、改めて感じました。
ただ、この超重要な「セレクト」と「組み上げ」については、まだまだ育緒さんに頼り切りなのでした。精進精進。
時間をかけて取り組む写真
もうひとつ、今回のゼミで学んだことがあります。
半年間、あれこれと試行錯誤したり育緒さんに力強いご指導(笑)をいただきながら撮っていると「もう、これで十分撮りきった」という気分になることがあります。
でもぜんぜん違って、むしろここから始まるんだな、と思いました。
写真は、一瞬で撮れます。
でも、一枚では物語にならない。
何枚も何枚も、一瞬を幾重にも重ねることで立ち上がってくるものがあるようです。
写真の一瞬を重ねるということは、つまり多くの時間を重ねることにもなります。
一瞬の背景に広がる時間を、何層にもかさねていく作業は、何ヶ月、何年、何十年、時間を重ねることでだけ、厚みを持つことができるのかもしれない。
そんな風に思いました。
特に、今回のテーマのひとつであった街並みは、時間帯や曜日、季節によって大きく表情を変えるはずです。時代によっても面白い変化がありそうですね。
そんなことを考えてみると、半年のゼミの終わりは、まだまだ始まりに過ぎないのだと強く感じます。
そんな訳で
第三期にも参加することにしました!
まだ募集中とのことですので、ご興味がございましたら是非、ギャラリー・ソラリスのサイトをチェックしてみてください。
来期は、これまでと同じ「表現コース」に加え、これからもフィルム写真を始める方にもオススメなライトコース「写真を見せ合うクラス」が新設されました!
「写真を見せ合うクラス」は、キッズも参加可能とのことです。
【写真教室】育緒のフィルム写真ゼミ、2クラス開講のおしらせ | ソラリス|大阪の写真ギャラリー・写真教室・写真フレーム・暗室
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