昨年秋にスタートしたフィルム写真ゼミが、3月で最後の授業を終えました。
第一回目の授業は昨年10月で、その時の衝撃は過去記事(「セイリー育緒のフィルム写真ゼミ@ソラリス」第一回に参加しました)をお読みいただけると嬉しいです。
はじめに、先生のお名前について補足を。
3月から「セイリー育緒」先生が「育緒」先生になったとのことですので、以降は新しいお名前で書かせていただきます。
第一回目の授業で決定した自分のテーマを、半年間やり通せるのか? 正直なところ、自信がありませんでした。
ところが、終わってみるとあっという間で、まだまだ追求すべきところが見えてくるんだから不思議です。
まもなく始まる修了展の前に、ひとまず授業を終えたまとめを書いておきたいと思います。
壊してもらった扉の向こう側
第一回目の授業で、たっぷりの愛を持って叩き壊された開かずの扉。
その向こう側に見えるものに、恐れや不安がなかったといえば嘘になります。
嫌気が差して辞めたくなるんじゃないだろうか?
撮ることが苦痛になりはしないか?
そんなことも、少しばかり思っていました。
ちなみに、テーマは「父」
これまで風景や植物など、人でないものばかり撮っていた私にとって、人間、それも家族を撮ることになったのでした。
補足すると、私にとって父は、対立の対象であっても興味の対象ではなく、写真であれ何であれ、創作に伴う活動ではあまり関わりたくない相手なのでした(笑)
ともあれ第二回目の授業までに、自分なりにテーマをよく考えながら、探るようにカラーとモノクロで、一本ずつ撮りました。
手探りと失敗
ファインダーを覗くたびに、これほど無機質な気分になったことがあっただろうか、いや、ない。
というのが、最初の一ヶ月の感想。
とにかく撮らなければ。
いろいろな場面で父を撮りました。
これまでは、出来の良し悪しはともかく撮りたいものがはっきりとしていました。
それが、まったく掴めない。撮りながら、不安ばかりが募る。
そうして仕上がってきたものは、いわゆる普通の家族スナップでした。
二回目の授業では、それはもう滅多打ち(笑)
「見ず知らずの家族のスナップなんか、見せられても困るやろ!?」
という育緒先生のお言葉は、脳天に槍が突き刺さったような感覚でした。
そんなん、わたしも見たくないわ。しかもジジィなんて、なおさらや。
補足しておくと、これは展示して見せることが前提のお話。
家族スナップのすべてを否定しているわけではないし、家族スナップが作品になることもあるので、あしからず。
そこで、つぎの一ヶ月は客観的な視点を意識して父に向き合いました。
突然、鮮明になったイメージ
二回目の授業では、テクニック的なアドバイスもいただきました。
曰く「以後、すべて縦で撮るように」
じつは4〜5年ほど前から、縦写真ばかりになるのが気になって、意識的に横で撮るようにしていたのでした。トホホ
構図のとり方に無駄が多く、縦のほうがしっかり収まると。
なるほど。
……カメラは横を向いているのに、無意識のうちに縦構図になっていたんだろうか。謎。
で、縦でやってみると……
これはもう見事に、やりやすい。自分でも驚きました。
授業では、改善点につながる写真をピックアップしてくださいます。
雑多な写真が取捨選択され、ひとつの筋があぶり出されていく様子は、毎回ゾクゾクするほど興奮します。
写真を見ながら飛び出す暴言(愛の言葉)にもまた、ゾクゾクします。んふ。
そうしてあぶり出された筋をたどっていくと、見るべきものが見えてくる、というような感じ。
ここで見えてきたのは、父に対して距離を取りすぎているということ。
もっと踏み込んでいくことで、かえって客観性が生まれるというような……
この授業で、方向性がはっきりしたように思いました。
あとから気づいたのですが、ここで得た「被写体との(物理的な)距離」は、それまで撮ってきた植物と同じ距離感なのでした。
この距離が、私にはいちばん馴染むのかも……?
撮りまくった一ヶ月
三回目の授業へ向けた一ヶ月。
前回、カラーとモノクロを撮りましたが、ここからはモノクロで。
今回は、色が邪魔になるような気がして……生々しすぎると言うか。
色よりも、フォルムを掘り下げたいと感じました。
カメラを縦にして被写体にぐいぐい寄り、父本人ではなくその周辺にも対象を広げていく。
このあたりから、デジタルで撮っていたときのような高揚感が生まれてきました。
「ここで撮っておこう」
と意識的に撮っていたものが、もう少し自然に撮るものが湧き上がってくるというか……ようやく、被写体たる父に興味を持ち始めたということかも。
また、父親というフィルターが薄れ、一個体として父を見るようになってきたのかもしれません。
そうして出来上がってきた写真は、前の一ヶ月とはまったく違うイメージに。
近づくことでクローズアップされた父はパーツに分解され、彼が大事にしているガラクタたちと同列の価値を持つように(私には)感じられました。
父は日曜大工とか庭仕事とか(嫌々やっている)農業ごっことかクラフトとか……
とにかく、コチョコチョと何かを作るのが好きなので、視線は自然と手元やガラクタ(道具)に向かっていきました。
対象を分類する作業
三回目の授業では、荒削りながらまとまり始めたモノができてきたように思います。
縦で寄って撮りまくった一ヶ月。
画面から余分な説明や空白が排除され、より純粋なモノとして写すことに少し歩み寄れたのではないかと。
大量で雑多な写真が育緒先生の手で分類されていきます。
撮ったモチーフについて詳しく話すこともないまま、淡々と分類されていくさまは、なんとも魔法のような不思議さがあります。
撮っているときは夢中なので、そこに共通点や類似性を意識することはありません。(私の場合)
でも、プリントされたものをテーブルに広げて見ると、ぼんやりと境界線が見えてくるんです。
これとこれは、こっち。それとそれはそっち。
こいつはどこにも入らない。これは、ちょっと違うな。これはwwあかんwww という具合。
そうして分けていくと、いま、私の目が一番興味を持っているであろうモノや、父の表情豊かな瞬間が洗い出されてきます。
ちなみに、父は手のみにクローズアップされているので、顔の表情を読み取ることはできません。
だけど、楽しそうなとき、一生懸命なとき、やる気のないとき、それぞれに表情があるようで、面白い。
とくに、父が嫌々やっている作業を先生に見抜かれたときには、ほんとうにびっくりしました。バレバレやん、父。
こうして洗い出したら、今度はより掘り下げていくべきシーンに的を絞っていきます。
今回の場合ですと、作業・道具の中でもより趣味的な自由な仕事にフォーカスしていくことになりました。
例えば、ビジネスとしての仕事、生活に必要な作業などは、ひとまず省くことになったのでした。
枝分かれし展開する予感
掘り下げるシーンが定まったものの、寄り道はしてしまうものです。
撮っているうちに新しいものを発見することも少なくありません。
そうした中で、今回の課題としては除外になるけど、今後取り組んでみたいと思う場面が多々ありました。
たとえば、数多い趣味の中でも、レザークラフトは父にとって一番お気に入りの趣味。
その作業シーンは、モノクロよりカラーのほうが良さそうと、先生からアドバイスをいただきました。
今後、挑戦してみたいと思っています。
他にも、残しておきたいと思うシーンがたくさんありました。
ほんの数ヶ月前まで、父親なんて撮ろうとは1ミリも思わなかったのに。
面白いことに、父への接し方も少し変わったように思います。
新しい扉から広がる世界に、少しは踏み出すことができたのかもしれません。
写真を選んで組む
さて。
そんなこんなで五回目の授業を迎え、いよいよ修了展へ向けて写真を選別していく段階になりました。
約4ヶ月で撮った写真は、300枚余り。
組写真ということなので、予想としては、4〜8枚程度を2L〜六切くらいのサイズになるかな? と思っていました。
ところがどっこい。
ざっくり「手」と「道具」の2グループに分けて、それぞれ20枚、サイズはL版。
なんと、40枚を展示することになったのでした。
不思議なことに、40枚を並べて見ると、全体からじんわりと漂ってくるイメージがあるように感じます。
ぼんやりとしているんだけど、気配というか、人物像というか……?
ちょっと適当な言葉が見つからなくてもどかしいのですが、とにかくボンヤリと何かが漂っている。
L版の小さなプリントが集合体になって、大きなひとつのイメージになるような感じ。
こういう感覚は、プリントしたものを実際に並べて初めて現れてくるんだなぁと思いました。
いくら大きくても、モニタ上では得られない感覚なのではないかと。
一回目の授業で言われた、
「写真は、一枚で語りつくすことはできない。何十枚もの写真を通して、メッセージが描き出されてくる。だから、写真を組む。」
という言葉の意味が、ようやくストンと心の中に落ちてきた気がしました。
作品をプリント
六回目、最後の授業は、作品展示に向けた展示方法の相談が主な内容となりました。
人によっては、写真選びの最終段階だったり、プリントするお店の相談だったり……
進捗には若干の違いがありましたが、ともかく、展示前の最後の授業とあって、いつもより集中度が高かったように思います。
私は、五回目の授業で写真が決まり、展示用に改めてプリントしたものを準備していきました。
プリントは、育緒先生から薦めていただいた、自由が丘にあるポパイカメラさんにお願いしました。
展示用プリントの注意点としては、
「全ての写真のコントラスト、トーンを揃えること」
ポパイカメラさんは、作品のプリントに慣れているということで薦めていただきました。
繁盛期とあって、納品が最終授業に間に合わないかとドキドキしましたが、無理を聞いてくださいました。感謝。
最終授業の前日。
自宅に届いたプリントを見てびっくり。
ぜんぜん違うんですね。40枚のトーンが揃っているというのは、ちょっと感動です。
もう、それだけで作品の完成度がアップしたようにさえ思います。
今回、プリント用紙の選び方がわからず、とりあえず「光沢紙」で依頼しました。
作品展示のことを伝えると、お店の方からラスター(絹目?)もいいかもしれないとご連絡をいただき、両方でプリントしていただくことにしました。
光沢紙は、その名の通りつるつるぴかぴかの質感。細部までキリッと階調もなめらかに再現されます。
ラスターは、半光沢というのでしょうか……ちょっとザラッとした質感。反射がやわらかで、階調も穏やかに、優しい表現になります。
今回は、切れ味のよい感じが適当だろうということで、光沢紙で展示することになりました。
いやはや。
結局、ラスターのプリントは使用しなかったわけですが、両方やってみてよかったと思います。
同じデータで出した紙違い。細部をじっくり見比べることができます。
紙の違いでもまた、作品から受ける印象はずいぶん変わります。勉強になりました。
そして、いよいよ展示方法を決める段階に進みます。
作品をどう見せるか?
じつは、壁に直接ペタペタ貼ってしまうのもいいんじゃないかなぁー、なんて呑気に考えていましたが。
育緒先生から、気の遠くなるような提案を頂戴いたしました。
「20枚、びっちりとマットに直接貼ろう」
…………はい?
直接!
マットに!!
びっちり!!!
20枚を!!!!
なんと……なんと大胆な………っ
しかも、マットにはちゃんと穴を開けると。(当たり前か)
その上、端っこの写真が小さくなるのを防ぐため、穴のサイズは写真ピッタリだって……っ
……泣きたい。
そんな、数ミリのズレも許されない一発勝負なんて。……号泣したい。
もし、もし万が一、奇跡的に成功したとして、2セットある。2セットだ。奇跡は2回必要なんだ。
ソラリスの橋本オーナーに依頼したマットが届き、自宅で梱包を解いたときの気分を、察していただけるだろうか。
失敗は許されない。
念の為、マットの穴に併せて写真を並べてみた。
3ミリ。
3ミリ、穴からハミ出る!!!!
つまり、上下左右1.5ミリずつ外に出さなくてはいけない。1.5ミリ!!
その上、プリントの大きさには微妙に誤差がある。角も完璧な直角じゃない場合もある。
数枚くらいなら大した誤差にはならないけど、縦横5×4枚を敷き詰めていくと誤差が大きくなる。
もちろん、手で貼っていくので、うっかりズレることも考えられる。
水分のある糊は使えないから、両面テープで貼っていく。
写真にシワができるため、貼り直しは出来ない。
………泣きたい。
泣いて全てを忘れたい……!!
──と、泣いていてもしかたないわけで。
半ベソかきながら、粛々と作業したのでした。
奇跡は起きたのか?
それは、ぜひ実物を見てご判断ください。
「育緒 フィルム写真ゼミ 2017-2018年度 修了展『すえおそろしい』」は、2018年4月10日(火)〜4月15日(日)。
14日(土) 17:00〜、育緒先生と修了生によるトークイベント、18:00〜交流パーティー(予約不要)
お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。
と、最後に宣伝して、このクソ長いブログを終わります。
疲れた_:(´ཀ`」 ∠):_
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